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『諏訪の記憶』

  1. 2010/08/30(月) 17:11:08|
  2. 信州|
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フジモリ建築の話をもう少し続けたいと思います。
藤森氏が設計した第一号の建築 『神長官守矢史料館』が展覧会場から車で5分だと聞いて、そちらに向かいました。史料館の裏の畑には 『高過庵』もそびえているというのですから。

神長官

守矢家は古代から(!)明治時代の初めまで諏訪上社の神長官という役職を一子相伝で勤めてきた一族。その守矢家の約1,600点の古文書を収蔵する建物がフジモリ建築第一号です。史料館1階の展示室の説明を読んでいると、これがなかなか面白い。
古事記には、「出雲の大国主の子である建御名方 (たけみなかた)は、大和朝廷との戦いに敗れ、諏訪に逃げて、諏訪大社に鎮まった」と書かれているが、守矢家の伝承では、建御名方が諏訪盆地に入ってきた時に、先住の「洩矢神 (もりやのかみ)」と争いになったと、伝えられているとのこと。
八ヶ岳南麓一帯には縄文遺跡が点在し、数千年にわたり縄文文化が栄えた地域だというのは、おぼろげに知っていたのですが、この地で、豊かな文化を花咲かせていた縄文系「原住洩矢族」と、西から来た弥生系出雲族がぶつかったのですね。日本が『国』になる前のオハナシ! 守矢家の伝承の続きによると、戦いに勝ったのは建御名方。しかし、守矢氏は、諏訪上社の筆頭神官の地位に就き、建御名方の子孫である諏訪氏と、共存していくシステムを長い年月をかけてつくり上げてきたのではないでしょうか。信仰を国家神道一つにまとめ上げようとした明治政府によって、神長官の職を解かれるまでは。(今、縄文が注目されているようで、たまたま立ち寄った本屋で坂本龍一と中沢新一の縄文遺跡を廻っての対談集を見つけました)
史料館の建つこの土地は、そうした古代の記憶が生きている、強烈なパワースポットなのですね! では、敷地内でみた不思議なものを…

御頭祭
史料館の1階。
江戸時代まで春に盛大に行われてきた「御頭祭」(おんとうさい)の再現。
鹿の頭を供え、ウサギは串刺し(写真右端)…
諏訪大社には、昔から獣や魚の肉が供えられ、諏訪の神様は肉食なのだそうです

御柱
御左口神(みしゃくじ)社
諏訪社の神事では、重要な役割を果たしたそうです。
両脇の小さなホコラにも、御柱が…

御柱2
防風林(???)に囲まれた小さなホコラにも、御柱が…

藤森氏が幼少期を過ごしたであろう家は、この史料館のすぐそばで、彼自身が建てた『玄庵』があり、一目で分かりました。
展覧会の図録の最初に、藤森氏は「人が大人になってからなす表現というものは、小説、詩、絵、音楽、劇などなど分野を問わず、かならず生まれ育った幼き頃の環境をうつすにちがいない」と書いています。45歳までは建築史家であった彼は、建築家としての自分自身の表現を、それまでのロジックでは説明するのが困難と認めつつ、環境反映論で説明されるのはごめんこうむりたいとも、言っています。でも、この守矢の地に潜む縄文の記憶と、フジモリ建築の力強く、ユーモラスで、不思議な魅力は切っても切り離せないものであることは確かですね。

2010年8月30日

















空飛ぶ泥舟

  1. 2010/08/27(金) 20:36:08|
  2. 信州|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
何年も前から、「ブログを書いたら」と沢山の方に勧められましたが、そこには無精者の私に対する非難の気持ちも少なからずこめられていたような…
皆さんのアドバイスに従い、Milly Bisのホームページを刷新するのを良い機会と考え、重い腰を上げ、ブログを書き始めることにしました。
1990年にミリビス・ジャパンを立ち上げてから、展示会のために年に2〜3回パリに通い、様々なことを感じ、考えてきましたが、これからはそれをブログに書いていきたいと思っています。

記念すべき初ブログは、パリではなくて、夏休みの信州旅行の話。茅野市美術館で開かれている「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」(8/29日まで)の報告から始めます。

泥舟


テレビ番組で、トトロのお家のような『泥舟』に出会い、是非見てみたいと思ったのが数週間前のこと。調べてみたら茅野市美術館の庭に浮かんでいるというではないですか。夏には色々事情があって諏訪に行く予定でしたので(この話は、後日)、茅野に寄っていくことにしました。当日予約を入れれば、泥舟に乗れることも判明し、ガタガタ揺れる梯子にしがみつきながら、泥舟にものぼりました!

窓から



泥舟の窓からの景色





茶室


泥舟はお茶室ですから、お釜もあります。
お茶会も開いたそうです





入り口

登るのも降りるのも、結構怖い…
1回にのぼれるのは5人だけ。
みんなが笑うと、泥舟も揺れる…
でも、落ちないように藤森氏が設計してあるとのこと。



藤森照信氏は、1946年に茅野で生まれ、建築史研究者としても業績を残していますが、自ら茅野市の神長官守矢史料館を、1991年に設計して、建築家としてデビュー。その後、高い木の上のツリーハウスや、屋根にタンポポを植えたタンポポ・ハウス(藤森氏の自宅)、赤瀬川原平氏のニラハウス、細川護煕氏の湯河原の「不東庵工房」など、ユニークな建築を作り続けています。一年に一人くらい、どこかから「物好きな」(?)施主が現れ、建築士としての活動を続けることができているという、藤森氏のコメントには笑ってしまいました。2007年春に、銀座のエルメス8階のフォーラムに四畳半の家を3軒つくりこんだ「メゾン四畳半」村も、とても面白いものでした。
今回の展覧会場には、藤森氏のこれまでの建築の写真、スケッチ、模型、屋根・壁の材料の見本、家具などと一緒に、彼が高校時代まで過ごし、影響を受けた茅野の風景の写真も並んでいて、楽しかったですね。
『泥舟』は、ワークショップを開き、小学生を含む一般参加者と地元の職人が、この地域の素材を使って制作したのだそうです。屋根に葺いてある銅板は子供達が一生懸命叩いたとのこと。その銅板など、材料見本の展示してあるコーナーに藤森氏が書いていた説明が印象的でした。「建築にとって重要なものは、コンセプトだとか、構造だとか言うけれど、私は小さな声で、仕上げと言う」というのがその内容です。ファッションに関しても同じことが言えるなあと、その言葉を思い返しているところです。

2010年8月19日記




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